富山藩主 前田家墓所 長岡御廟所の調査
1.長岡御廟所の概要
(1) 全体概要
 
長岡御廟所は、「前田氏墓所」と明治年間作成閉鎖公図に表記され、富山市八ヶ山小林4,170番地外に所在します。
初代利次公から十一代藩主利友公までの地下室墓が並び、正室側室子息子女の墓標がこれらを取り囲んでいます。

総面積は、参道部等も含め1.2ヘクタール余りの広さがあります。

この墓所は、富山藩が当初富山城建設を表明した百塚西側の長岡の地に所在します。

二代藩主前田正甫が初代藩主利次の菩提を弔って、延宝3(1675)年廟所を設け、利次菩提寺である曹洞宗光厳寺の末寺真国寺を置いて墓所の管理(墓守)を行わせたことが始まりです。

その後、二代藩主正甫の没後、菩提寺日蓮宗大法寺末妙経寺が置かれました。

以後藩主墓の追加・参道の付替えが行なわれました。明治後半以降には大きな改修を受けたことによって、藩政期に完成した長岡御廟所の姿が失われてしまいました。

墓所に至るには、東側直下を流れる牛ヶ首用水に架かる極楽橋を渡り、丘陵崖部に設けられた斜面道を南へ登って丘陵上部の平坦面に至ります。ここには明治17年、神式への変更に伴い建てられた鳥居があります。この鳥居の先が墓所の区域となります。
(古川)