シリーズ縄文講座(2)
北代遺跡の土屋根住居
 
土屋根の縄文住居の復元
縄文時代の住居といえば、地面を浅く掘りくぼめて作った竪穴住居が有名です。これまで竪穴住居は、五箇山の合掌民家の屋根のような茅葺き屋根の建物と考えられており、朝日町不動堂遺跡などでも茅の住居が復元されています。ところが近年、自然科学や建築学の分野と協力した発掘調査が進められ、竪穴住居の屋根には土がかぶせられていたことが明らかになってきました。平成9年、北代遺跡の第70号住居の発掘調査で、屋根の上にのった土が住居の中から見つかり、屋根全体を土が覆っていたと考えられました。

この発掘成果をもとに、全国でも珍しい土屋根の竪穴住居群が復元され、北代縄文広場として整備・公開されました。
整備された土葺きの竪穴住居
整備された土葺きの竪穴住居
【北代縄文広場】
 
快適な住みやすさのための工夫
第70号住居は、約14平方メートルの広さがあり、中央には石で囲ったいろりがあります。現代風に一言えば8畳の1LDKタイプの住まいで、ここに4人くらいの家族が住んでいました。いろりは主に食事の煮炊きや暖房に使いました。湿度が高いという北陸の風土と、風が通りにくい住居構造のため、竪穴の中は湿度が高くなります。
しかしいろりで火を燃やせば湿度は75%まで下がり、過ごしやすい状態になります。また夏場は外気温より10度ほど低く、土蔵に入ったのと同じ涼しい環境となります。また火を燃やすことは、柱など骨組みとなる木を腐りにくくさせるとともに、木の中の虫を殺したりカビの発生を抑える効果もあり、住居を長持ちさせるのに役立ちました。
住居の骨組みとなる木は、ほとんどがクリだったようです。小矢部市桜町遺跡の川跡からは縄文時代中期のクリの柱材がたくさん出土しました。クリの木は、伐採後は柔らかくて加工しやすく、乾燥すると堅くて弾力性のある性質に変化します。現代でもその性質を利用して鉄道の線路のまくら木に使われています。縄文人たちはその木の性質を熟知し、住居の柱として最も適した木を選んだのでしょう。

このように、竪穴住居には縄文人のさまざまな知恵の結集をみることができます。それでも住居の耐用年数は10年程度だったかもしれません。このような優れた伝統は弥生時代までは残りましたが、その後は消え去ってしまいました。