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縄文時代の人たちは、どんな衣服を身にまとっていたのでしょうか。
縄文時代の衣服そのものは普通は腐ってしまうので遺跡から見つかることはまずありません。しかしそれを考えるヒントとなるものは多く見つかっています。
北海道斜里町の朱円遺跡(縄文時代後期末)では火葬された人骨に付着した布が見つかっており、布の衣服を身につけていたことは間違いありません。
「えっ!縄文時代に布なんかあったの?」と思われる方もいるかもしれませんが、この他にも漆を絞るのに使ったため、腐らずに残った布が何点か出土しています。それらは簾を作る要領で編んでおり、「編布(アンギン)」と呼ばれています。素材はアカソやカラムシなどの植物の繊維を取り出し撚りをかけた糸です。今まで見つかった最も細かい編布は1cmあたり経糸が7本、緯糸が10本となかなか目が細かいものです。
また骨で作った縫い針も見つかっています。これらの素材や道具を使って縄文人たちは袖のある上着やズボンなどを作ることができたと考えられます。
土偶にも衣服のヒントが隠されています。土偶は女性をかたどった土製の人形で、子孫繁栄や、豊穣を願うために使われたと考えられています。裸姿のものもありますが、衣服を表現したらしい文様が見られるものも多くあります。胸から腹にかけてY字状の線が刻まれたものは、前で掛け合わせたり、縫い合わせたりした衣服のようにみえます。また、パンツやズボンをはいた土偶も見られます。
衣服には自然の染料を使って、土偶や縄文土器と同じような模様をつけていたことは十分に考えられます。冬には毛皮や、魚皮で作った防寒着・長靴などを装着して寒さをしのいだことでしょう。 |
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