牛滑遺跡は富山市婦中町牛滑字天城地内、山田川左岸の河岸段丘(標高約167m)に位置する遺跡です。縄文時代中期中葉(約4500年前)の平地住居跡3棟と多数の土器や石器が出土し、県内の同時期の土器の指標となる「牛滑式土器」が設定されました。また、平地住居の構造が明らかにされた点でも、学史的に重要な意義をもつ遺跡です。 |
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平地住居は、地面を掘り窪めた竪穴住居とは異なり、地面をほぼそのまま床面とします。地面を掘り込まない分、住居の屋根は竪穴住居より急角度になります。 |
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第1号住居は、直径約5.3mで、床面積が約20.7平方メートル(約11.1畳)の円形住居と考えられます。炉を取り囲む4ヶ所の主柱穴と補助柱の外側には、垂木を据えるための柱穴が15ヶ所円形に配置され、中央に向けて斜めに穴(深さ約27cmから53cm)が掘られていました。北側の垂木穴の角度は約46度でした。周辺で検出した第2および第3号住居も平地住居と考えられます。 |
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本遺跡では凹石(堅果類の殻を割る道具)と石錘(漁網のおもり)が多量に出土しましたが、狩猟に使用される石鏃はわずか1点でした。堅果類の収穫と漁業の拠点となる遺跡だったと考えられます。また、少ない労力で建築できる平地住居が築かれていることから、定住地を別に持つ縄文人の期間限定の住まいだった可能性があります。 |