打出
うちいで
遺跡
旧神通川河口に営まれた集落
(富山地域)
打出遺跡は、富山市北西の海岸部に位置する集落跡で、弥生後期から古墳前期(約1800年から1600年前)の集落跡です。
遺跡の北側はかつての神通川跡で、1mから3mほど低くなっており、集落は河川に面する河岸段丘上に立地します。
弥生時代後期から古墳時代前期(約1800年から1600年前)の集落は川辺に存在します。
旧神通川跡
川辺の集落 −弥生から古墳時代−
弥生から古墳時代の集落では、方形の竪穴住居跡13棟が検出されています。
川辺の
祭祀
さいし
遺跡の北部で検出された旧神通川跡(古くは「カンの川」、「
古古
ふるふる
川」と呼ばれた)の川辺の傾斜地には、古墳時代前期ごろに木道と見られる木の集積や、赤く塗った祭祀用の
高杯
たかつき
や
壷
つぼ
など多数の土器が廃棄された場所が確認されました。
土器が廃棄された場所から、
三連壷
さんれんこ
と呼ばれる特殊な土器が見つかりました。
(
富山市考古学NOW「三連壺」(古墳時代))
この遺跡では、水または河川に対する
鎮
しず
めや、
穢
けが
れの清めなどの目的で祭祀が行われたと想定されます。
川辺のくらし
対岸の
江代割
えいだいわり
遺跡とともに、弥生時代後期から古墳時代前期にかけての川辺は、人びとの活動や居住の場となりました。
また、打出遺跡では鉄器製作道具や加工途中品が出土しています。弥生時代後期後半から古墳時代前期前半にかけて、鉄器の加工が行われました。
この時期の打出遺跡は、交易中継地ともなる神通川・常願寺川下流域の拠点的集落でした。
弥生時代の竪穴住居跡から出土した土器
鉄器と石器の分布
火災がおきた竪穴住居跡
打出遺跡では、弥生時代終末期の竪穴住居跡の1棟から、炭化した建築部材や焼けた土の塊が崩れ落ちた状態で見つかりました。
建築部材の出土状態から住居の構造を復元すると、4本の
主柱
おもばしら
に
梁
はり
・
桁
けた
、
垂木
たるき
・
小舞
こまい
などの材を組み、
茅
かや
を二重に
葺
ふ
いた後に、屋根中央にある
煙出
けむりだ
し付近まで土をかぶせた
土屋根
つちやね
住居であることが分かりました。
また、床は土を叩いて土間としていました。
出土状態
樹種(上)と用途(下)
本住居は、建物の
廃棄
はいき
にともなって意図的に燃やされました。
その後、洪水によって古墳時代前期までに埋没したことが分かっています。
(
富山市考古学NOW「川と遺跡」(縄文時代から江戸時代))
竪穴住居内の堆積物の分析
洪水氾濫物の堆積(試料15の模式図)
参考文献
富山市教育委員会 2004
「富山市打出遺跡発掘調査報告書」富山市埋蔵文化財調査報告138
富山市教育委員会 2006
「富山市打出遺跡発掘調査報告書」富山市埋蔵文化財調査報告7
関連書籍
(表紙をクリックすると全国遺跡報告総覧のホームページが開きます)
富山市教育委員会 2004
『富山市打出遺跡発掘調査報告書』
富山市教育委員会 2005
『富山市内遺跡発掘調査概要Y』
富山市教育委員会 2006
『富山市打出遺跡発掘調査報告書』
富山市教育委員会 2007
『富山市打出遺跡発掘調査報告書』