野沢のざわ遺跡

旧石器時代・縄文時代・平安時代
にかけての遺跡
(大沢野地域)
調査風景(昭和54年)
調査風景(昭和54年)
野沢遺跡は、神通川右岸の舟倉段丘上北西端に営まれた旧石器時代・縄文時代・平安時代にかけての遺跡です。昭和54(1979)年に約15000平方メートルの発掘調査が行われ、AからE地点までの5地点で旧石器時代・縄文時代・平安時代の遺物の出土を確認しました。
 
A地点では40m×15mの範囲から674点の旧石器時代の石器が出土しました。これらの石器の製作方法をみると、母岩となる石材の上下両端から縦長の剥片を取るものと横長の剥片を取る2つの技法がみられます。前者は直坂遺跡の石器群よりも新しい段階で、東北地方の系統を引く技術と考えられます。剥ぎ取られた剥片は、ナイフ形石器や彫刻刀形石器に加工されました。
 
また、旧石器時代の集落全体を調査したことによって、石器の分布、礫群、焼土から3つの生活空間(世帯)を推定することができます。県内で旧石器時代の集落を調査した例は野沢遺跡のほか数例しかなく、旧石器時代研究において野沢遺跡の調査事例は重要な意味があります。
 
このほか、平安時代に属するものとして土坑や10世紀後半の土師器、須恵器なども出土しています。土坑は熱を受けているものも多く、近くに住居跡の出土がないことから、木炭窯説、火葬坑説、祭祀跡説などが考えられます。
 
残念ながら、野沢遺跡は土砂採集され、遺跡の大部分は残っていません。