1 これまでの知見 |
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水橋金広・中馬場遺跡内には、今年度調査区の東に若王子塚(八幡社)、西に宮塚(神明宮)があります。現在、両塚は神社地になっています。これらはいずれも古墳ではないかと推定されていたものの、決め手を欠いていました。なお、「若王子塚」という名の由来はよく分かりません。 |
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2 周溝の検出 |
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今年度の調査区内で若王子塚古墳の西側の周溝を検出しました。現存する墳丘の直径は約25mですが、今回検出された周溝を元に復元すると、直径約46mの大型古墳となることが判明しました。
周溝の幅は約4mから5mを測り、深さは約0.1mから0.3mを測ります。
周溝の深さが浅いのは、古墳の周囲に後の時代の集落が形成されており、その際に幾らかの削平を受けたためと考えられます。また、昭和40年代のほ場整備の際にも削平を受けています。
古墳の北側水田の追加試掘調査では、周溝幅5.4m、深さは0.35mを確認しました。これによって周溝は少なくとも0.4mから0.5mの深さがあったと推定されます。
この試掘調査結果も合わせて古墳の直径を復元すると、約46mの大型円墳になることが明らかになりました。
なお、現在のところ古墳の外表施設としての埴輪や葺石などは確認されていません。 |
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3 古墳の年代について |
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若王子塚古墳を巡る周溝の中及び周辺部から、古墳時代前期末から中期初頭(4世紀後半、今から約1600年前)の土師器の破片が数十点出土しました。
このことから、若王子塚古墳が古墳時代前期末から中期初頭の時期に属することが推定されます。 |
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4 若王子塚古墳の意義について |
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@)県内最大級の円墳 |
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これまで富山県内で確認された円墳で最大のものは稚児塚古墳(立山町)、近年発見された泉1号墳(氷見市)の直径46m、次いで四十九1号墳(高岡市)の直径44mがありました。
30m級の円墳は、県西部を中心に多く見つかっています。近隣では、塚越古墳(立山町)の35m、清水堂古墳(富山市)の30mなどがあります。若王子塚古墳の直径は46mを測り、稚児塚古墳、泉1号墳と並んで円墳では県内最大規模となることが確認されました。
この地域(新川郡)では、直径30m以上の大型円墳が少なくとも4基集中しており、規模からみると4世紀後半から5世紀前半にかけて他郡(射水郡、砺波郡、婦負郡)よりも有力な勢力が台頭していたことが分かります。
これまでの県内の古墳形成史では、4世紀に前方後円墳が築かれ、5世紀になって稚児塚古墳で代表されるように大型古墳が突如出現するとされてきました。今回の発掘調査によって、これまでの大型円墳出現の歴史的背景を見直すための資料になると考えています。 |
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A)白岩川流域古墳群成立の貴重資料 |
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周辺地域では、第2図のような古墳群を総称して「白岩川流域古墳群」と呼ばれてきました。これらは、弥生時代後期から古墳時代中期(3世紀前半から5世紀前半)の県内での一大勢力の存在を示すものです。これまでそれらを代表するものとして竹内天神堂古墳(舟橋村、前方後円墳・全長38m)、稚子塚古墳(5世紀前半に築かれた円墳)などが知られていました。
特に稚児塚古墳は県内最大の円墳で、葺石・周庭帯を持つなど県内の他の古墳では見られない造り方をしていて、5世紀代の新川平野(白岩川流域)に他地域に傑出した大勢力形成の象徴とされてきました。 このような中で平成11年度には、白岩川をやや上流にさかのぼった(直線で約800m)水橋清水堂地区の清水堂南遺跡で、方形周溝墓と円形周溝墓(3世紀前半)が並んで見つかりました。今回の調査でも稚児塚古墳に先だつ4世紀後半の同等規模の大円墳が確認されたことで、当地域の大勢力の成立過程を解明する上で貴重な資料となりました。 |
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