水橋荒町・辻ヶ堂みずはしあらまち・つじがどう遺跡

-平安時代の水橋駅家か-
(富山地域)
 
遺跡の位置   溝をもつ大型掘立柱建物
遺跡の位置   溝をもつ大型掘立柱建物
 
水橋荒町・辻ヶ堂遺跡は、富山市北東部の常願寺川右岸河口付近に所在し、海岸線まで約1kmの距離にあります。標高は約2mです。縄文時代中期から江戸時代まで続く大規模な遺跡で、主体は奈良から平安時代(8世紀初めから9世紀前半)です。
浄化センター建設等に伴って平成3年から5、8、9、12、16年に発掘調査を実施しており、検出遺構には掘立柱建物80棟以上、井戸、竪穴状遺構、区画溝、道路跡、土坑などがあります。掘立柱建物には5間×4間、4間×2間、3間×2間の建物、三方向に溝をもつ3間×2間の大型倉庫、2間×2間の倉庫があります。道路跡は幅約4.5m(心心間の路面幅4.3m)で、両側に幅約20cmの側溝が付き、東西方向にのびています。側溝内から白鳳から奈良時代前半(7世紀後半から8世紀後半)の須恵器、土師器が出土しました。区画溝や道路跡を中心に建物が計画的に配置されており、およそ4時期にわたる変遷がみられます。
出土遺物には、多量の須恵器、土師器のほか墨書土器(「竃神かまどがみ」等数点)、転用硯、漆の付着した土器、製塩土器、石製帯飾り(丸鞆まるとも)、布目痕の残る平瓦、斎串などがあります。
計画的性の強い建物の配置状況、石製帯飾りの出土などから、遺跡は古代の役所跡(官衙)であると考えられます。平安時代初期に編纂された『延喜式』には古代北陸道の駅家について記されており、本遺跡が越中国に置かれた八駅の1つ「水橋駅」に相当すると考えられます。
 
 
関連書籍(表紙をクリックすると全国遺跡報告総覧のホームページが開きます)
  富山市水橋荒町遺跡   富山市水橋荒町遺跡発掘調査概要   富山市水橋荒町遺跡発掘調査概要2
  富山市教育委員会 1997
『富山市水橋荒町遺跡』
  富山市教育委員会 1998
『富山市水橋荒町遺跡
発掘調査概要』
  富山市教育委員会 1999
『富山市水橋荒町遺跡
発掘調査概要2』