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新たな堀跡を確認 |
堀跡から西へ約36m離れた位置で南北方向に伸びる幅約7mの堀を確認しました。本来は幅10m前後であったと推測されます。この堀内からは漆器、灯明皿、中世土師器、中世陶磁器、櫛、木簡、鉛玉などが出土しました。
2本の堀がが平行に並んでいることから、外堀と内堀の関係にあったと推測されます。このことから、小出城は文献に残っていた記録(約60m四方)とは比べものにならない大規模な平城であったと考えられます。今後、周辺の発掘調査や地中レーダー調査などによって、小出城本来の姿が浮かびあがってくることでしょう。 |
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堀跡からの多数の出土品 |
2つの堀内からは計60点もの漆器が出土しました。約200平方メートルの狭い範囲で60点もの漆器が出土することは極めて珍しいことです。漆椀には火を受けたものや意図的に穴の開けられているものがあり、日常用具を祭祀用道具として転用された可能性があります。
堀の斜面から出土した石は、不規則に並んでいましたが、護岸のためのものではなく、投棄された可能性が強いと考えられます。また、外堀内から土錘が出土しており、周辺の河川などで漁業が行われていたのかもしれません。石には熱を受けたものがあり、戦火との関連性も含めながら、投げ込まれた意味・時期などについて今後明らかにしていきます。 |
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生活跡を物語る遺構 |
このほか8基の井戸を確認しました。その内1基は井戸側(枠)に桶を用いており、水溜めとして井戸底に曲物が据えてありました。井戸からは箸、曲物の底板、珠洲焼、土師器、櫛、投げ込まれたと思われる石などが出土しました。
また、17世紀頃のものと思われる屋敷地を区画する溝を検出しました。井戸や外堀を切り込んで東西方向に伸びる、幅0.3m、深さ0.2mの細長い溝跡です。
小出城が前線基地として戦乱の世を潜り抜けた以後もこの地に人々が定住し、戦国時代以降も人々が暮らしていたことがわかります。 |
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歴史に残る災害との関係 |
内堀西側の地層に、上下に20cm歪みのある箇所を確認しました。これは地震の断層活動の痕跡です。15年度調査でも、地震の液状化現象による噴砂の跡が確認されています。 |
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今後の調査にむけて |
これまでの調査により、小出城の正確な規模と平城として機能していた当時の災害状況を知り得ることができました。これらの検討により、今までの見解を覆す小出城の真の姿に近づいていくことでしょう。 |