百塚住吉ひゃくづかすみよし遺跡

県内最古級の前方後円墳
(富山地域)
平成17・18年度調査の写真合成(左から2号墳、1号墳、3号墳、4号墳)
左から2号墳、1号墳、3号墳、4号墳
*平成17・18年度調査写真を合成。右が北
百塚住吉遺跡は、富山湾から約4km内陸に入った神通川左岸の河岸段丘上に立地します。平成17年度に確認した1号墳(前方後円墳・全長約24m)、2号墳(前方後方墳・全長約16m)と並んで、平成18年度の発掘調査によって新たに2基の古墳が見つかりました。これら4基の古墳が連続して築造されていたことがわかってきました。
その他にも隣接した調査区で弥生時代後期から終末期(約1900年から1800年前)の竪穴住居跡や丸く溝を廻らした墓と見られる円形周溝状遺構、四角く溝を廻らす形の方形周溝墓などを確認しています。
 
 
県内最古級の可能性
18年度に新たに見つかった古墳は、前方後方墳(3号墳)1基と前方後円墳(4号墳)1基です。それぞれ3号墳は全長約13.5m、4号墳は全長約21m以上という大きさです。全て周溝という溝をめぐらせた形態の古墳で、古墳時代前期(約1700年前)に築かれたと推測できます。特に4号墳は南西のくびれた部分から、赤く彩られた高杯や脚部に穴の開けられた高杯、小型の壷が集中して出土しています。
 
これらの土器の年代からみて、県内最古級の前方後円墳である可能性が高く、この場所では古墳時代前期から近畿地方に見られる形の古墳(前方後円墳)を採用した人びとがいたようです。
古墳の形態や規模から、葬られた人物は百塚住吉遺跡周辺を治めた首長層の人と推測されます。
 
 
百塚住吉遺跡の周辺
「百塚」の地名のとおり、多くの古墳が築かれたこの地域は、富山における古墳のあり方を考える上でも、また古代国家の成立を考える上でも非常に重要な地域であるといえます。
 
 
関連書籍(表紙をクリックすると全国遺跡報告総覧のホームページが開きます)
  富山市百塚住吉遺跡発掘調査報告書   富山市百塚住吉遺跡発掘調査報告書2
  富山市教育委員会 2001
『富山市百塚住吉遺跡発掘調査報告書』
  富山市教育委員会 2002
『富山市百塚住吉遺跡発掘調査報告書2』
 
  百塚住吉遺跡・百塚住吉B遺跡・百塚遺跡発掘調査報告書    
  富山市教育委員会 2009
『百塚住吉遺跡・百塚住吉B遺跡・百塚遺跡
発掘調査報告書』