古沢塚山ふるさわつかやま古墳

呉羽丘陵周辺の勢力変化のきっかけ

 (富山地区)

古墳の立地
古沢塚山古墳は、呉羽丘陵の尾根頂部、標高約86m(平野部との比高約48m)に立地する全長約42mの整美な前方後円墳です。
後円部は直径約25mで、北及び東の墳裾には幅約5mのテラス面が残っています。西側には周溝がめぐるようにみえますが、これは後世の開削によるものです。 未発掘ですが、墳形などから中期古墳と考えられます。
富山県内では、中期は円墳が主体となり、前方後円墳は古沢塚山古墳と朝日潟山古墳(氷見市)の2例しかありません。また、古沢塚山古墳は日本海側北東限の中期前方後円墳です。
古沢塚山古墳と朝日潟山古墳の類似性
古沢塚山古墳と朝日潟山古墳の類似性
(富山市考古資料館『呉羽丘陵の古墳』2015年 より改変引用)
古沢塚山古墳の意義
古沢塚山古墳が立地する呉羽丘陵には、弥生時代後期から古墳時代にかけて築かれた墳丘墓や古墳が集中しており、この辺りを治めた勢力の墓域と推定されます。 
古墳時代前期と中期以降の古墳は立地が異なります。前期古墳はいずれも丘陵の東縁部に沿うように位置し、富山平野など東方向を見渡す立地にあります。一方、中期古墳(古沢塚山古墳)と後期古墳(呉羽山26古墳など)は、丘陵西側のやや奥まった場所に位置し、射水平野など西方向を見渡す立地にあります。
この違いから、前期は呉羽丘陵東麓を居住域とした勢力の墓域であったのに対し、古沢塚山古墳以降は、呉羽丘陵西麓を居住域とした勢力の墓域に変化したと考えられます。呉羽丘陵周辺におけるの勢力の変化のきっかけとなったのが、古沢塚山古墳の被葬者でした。
北限の中期前方後円墳の分布
北限の中期前方後円墳の分布
(富山市考古資料館『呉羽丘陵の古墳』2015年 より改変引用
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