富山市埋蔵文化財センター


Center for Archeological Operations,
Board of Education,Toyama City


発掘速報展2009 Part 2「富山市・1万年の時間旅行」
今市遺跡出土絵画土器 「何にみえるかな?アンケート」結果発表!!


 1.「何にみえるかな?アンケート」について

平成22年3月8日から12日の5日間、富山市役所多目的コーナーで、今市遺跡で出土した絵画土器に描かれたモチーフが何であるか、来場者に弥生人になったつもりで想像してもらうアンケートを実施し、その結果を掲載しました。
   
2.アンケート結果について (PDFファイル参照(84.3KB)(137KB))

 ・展示期間中808名の来場者があり、その内34名からアンケートの回答を得ました。

 ・単独のモチーフとみる意見が22件、複数のモチーフが描かれているという意見が7件、その他が5件ありました。

 ・最も多かったのは、「鳥」を単独で描いたという意見で10件ありました。次は、「魚」及び「龍」を単独で描いたという意見で、それぞれ3件ずつありました。次に「鳥と魚」を左右に配置して一つのモチーフにしているという意見が2件ありました。

 ・最も多かった「鳥」には、具体的にニワトリやタカ、コウモリではないかとの意見も添えられていました。

 ・少数意見として、逆さまにみて「ネコ」や「富山湾と立山」、「祭事を行った際についた傷跡」ではないかとの意見や、絵ではなく「直弧文」と呼ばれる直線と円形を組み合わせた文様ではないかとのユニークな意見もありました。

   
 3.アンケート結果を踏まえた市埋蔵文化財センターの見解

 ・最も多かった意見は「鳥」でした。中には1件「鳥と稲穂」という意見もありました。

 ・弥生時代においては、「鳥」は稲を人間界にもたらした聖なる動物であったという研究があり、水田に立つサギのように稲作農耕の象徴とも捉えられています。

 ・よって、稲作農耕の盛んな弥生時代に、農耕儀礼を行うための土器に稲作農耕の象徴である「鳥」を描いた可能性は高いとみられます。土器自身も内面がきれいで、煮炊き用に用いられた器でなく、祭祀に用いられたことも十分に考えられます。

 ・2番目に意見の多かった「龍」は弥生時代の後期以降に現れる絵画で、中国からもたらされた鏡に用いられたモチーフです。「龍」は中国古代思想で、水あるいは雨の象徴と考えられています。水田への雨乞いなどのために龍の来訪を必要とする農耕儀礼との結びつきを考えることもできます。

 ・弥生時代の土器に描かれるモチーフには、多い順に鹿・建物・鳥・人物・龍・舟・魚となります。いずれも狩猟や農耕などの象徴として描かれたと考えられています。

 ・絵画土器が出土した今市遺跡は、旧神通川の河岸段丘上で、射水平野の東端部に位置しています。古代から中世にかけては、有力寺社領の荘園が置かれ、現代では、八町米ブランドのお膝元でもあり、県内でも有数の穀倉地帯です。

 ・このような土地柄で、稲作農耕が始まった弥生時代に土器に「鳥」や「龍」を描いた農耕祭祀が行われていた可能性は十分高いと考えられます。
 
 4.絵画土器出土の意義(2010年3月5日現地記者レク資料(PDFファイル 141KB)再掲)

弥生時代の初期の絵画(弥生時代中期頃)はモチーフがはっきり描かれますが、後期になると簡略化されます。そこには稲作など農耕儀礼を行う「まつり」から首長を中心とした「まつりごと」へ祭祀形態の変化が反映されています。

儀礼に用いられる土器も絵画土器から記号を付すものや色を赤く塗る土器(赤彩土器)へと変化していきます。

今市遺跡で出土したモチーフが不明瞭な絵画土器は、当地において農耕儀礼から政治的な祭祀へと社会が変化する過程(弥生時代から古墳時代への移り変わり)があったことを裏付けられる貴重な資料と意義付けることができます。




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