富山市埋蔵文化財センター Center for Archeological Operations,
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人面付き土器
 

 
人面付き土器の紹介
この土器片は、大沢野町(現:富山市)在住の公務員の方が中学生の頃(昭和37年)に、同町の春日遺跡または国史跡 直坂T遺跡で採集されました。(どちらかは不明です)
 
昭和50年に、その所有者の方から譲り受けた富山考古学会会員の亀田正夫氏から本センターに連絡があり、人面のついた土器(顔面把手付き土器)であることがわかりました。
 
人面付き土器   顔面把手付き土器
人面付き土器   <参考>
顔面把手付き土器
(山梨県御所前遺跡出土)
講談社『古代史復原3』より
 
顔面把手付き土器は、中部高地(長野・山梨県)や、関東東部一帯(群馬県など)で多くみられる土器です。土器を一人の母と見立て、口縁部の内側に顔、器の部分は胎内、土器の外側の下方には母の胎内から生まれようとする新生児の顔が描かれ、出産儀礼や子孫繁栄を祈る呪術じゅじゅつに利用されたと考えられます。
 
今回判明した土器片は約9cmで、顔は土器の内面を向き土器の口縁部から突き出るように付けられていたとみられます。
 
顔の部分の大きさは縦3.1cm、横4.2cmです。鼻と口は欠けていますが、丸顔に、つりあがった切れ長の目とV字型のマユが確認できます。このような顔の特徴は、中部高地で見つかっている土器と極めて類似しています。しかし、人面の首の部分と土器の外側には北陸で作られた土器に特有の爪形文つめがたもん【細い竹を半分に割って押し付けてつけた文様】が施されており、土器片が見つかった遺跡の周辺で製作された土器と考えられます。
 
首の部分につけられた爪形文   土器の裏面(外側)
首の部分につけられた爪形文つめがたもん   土器の裏面(外側)
 
縄文土器につけられた文様は単なる飾りではなく、縄文人にとって種族の系譜や歴史の証として守るべき大切なもの、精神文化の象徴であったと考えられています。
 
他の地域で作られた土器や道具などが運ばれてくる“物資の交流”はこれまでに多く確認されています。しかし、今回のように人面という呪術性・独自性の強い精神文化の要素が北陸の土器に取りこまれたのは極めて珍しいことです。
 
金沢美術工芸大学 小島俊彰教授は「長野や山梨にまたがる文化圏は精神のよりどころを女神のような人物に置き、北陸は動物に置いた。今回の土器は異なる文化が融合し、大変興味深い。」とコメントされています。
 
 
人面付き土器の出土地解明!!
平成15年、この人面付き土器の出土地が、科学分析によってほぼ解明されました。
 
候補として考えられる春日遺跡も直坂遺跡も同じ縄文中期の遺跡で、土器を一見しただけではどちらの遺跡から出土したものか特定できません。このため、土器に付着していた微量の土の成分を分析すれば、どちらの遺跡から出土したか分かるかもしれないと考え、東京都埋蔵文化財センターの上條朝彦氏に分析を依頼しました。
 
上條氏の計画により、春日遺跡と直坂遺跡の土をサンプルとして採集し、その成分を比較して、どちらの遺跡の土が付着していたかを判断することにしました。
 
春日遺跡と直坂遺跡は非常に近い位置にありますが、それぞれ由来が異なる段丘面あるため、低い位置にあって神通川の砂礫を含む春日遺跡の土と、火山灰質の土からなる直坂遺跡では、成分の傾向が異なることから識別が可能と考えられました。
 
上條氏の分析の結果、人面付き土器に付着(目の奥にこびりついていた)していた土は、直坂遺跡の成分とほぼ一致したことから、高い確率で直坂遺跡であることが判明しました。
(古川)
 
※この調査成果の詳細は、「富山市考古資料館紀要」第24号(2005年3月)に掲載されています。


 
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